船釣り経験ゼロの女1人で遊漁船に乗ってきた
70cm前後のヒラメが2枚釣れました
陸釣りに比べて船釣りはダントツに敷居が高いですよね
女が1人でとなると余計にです
今回受け入れていただける船を見つけたので憧れの船釣りに行ってきました!
当日は幸いこの時期にしては暖かく、海も穏やかでした
というか、事前にそういう日があったら乗せてほしいと船長さんにお願いしておいたのです
ベテランさん2人と計4名で午前7時、出港!
まずはサビキでアジを釣り、それを生き餌にして大物を狙います
泳がせ釣りといいます
アジを充分に釣ったらでっかい針をアジにブスッと刺し(南無三)重りをつけて海底に落とします
しばらくすると竿先がぐいぐいとしなり始めますが、ここで、待つ
アジちゃんがかじられている途中なのです(南無三)
竿がぐっとしなってドンと重さがかかったら大物の口に針がかかった合図!
あわせ(竿をあげて確実に針をかけること)ます
で、リールを巻く巻く!重いよう
魚の力ってすごいです
腱鞘炎になりそうと思いつつ巻き続けると見えた!でっかいヒラメ!
タモですくいあげてもらい、ペンチでするどい歯の口から針をはずし生け簀へ
はあ~自分がこんな大物釣り上げるなんて信じらんない、感動
さらにもう一枚釣りあげ、3時ごろ帰港。
ベテランさんに何度も助けられて、楽しく釣らせてもらいました
波が穏やかだったこともあって気持ちのいい乗船となりました
これが荒れた日だったら波しぶきかかりまくりだろうし寒いし、酔うかもしれないし大変だったと思います
さて、女性が船に乗るのに一番のネックはトイレかと思います
男性は船の後部にアサガオがついてます。いいなあ
途中10隻くらい遊漁船に出会いましたが、個室のトイレがついているのは1隻のみでした
不安な方はこういった船を利用するか、専用の下着用パッドなど利用すれば良いかと思います
必要な装備
服装編
冬の服装はとにかく防寒!少々濡れても平気なもの
今回のわたしの服装
- ネックウォーマーにニット帽(顔ガード付き)
- 上はヒートテック2枚重ねに3枚カイロを貼り、ライトダウンを2枚、そのうえに防寒作業ジャケット ジャケのポッケにもカイロ
- 下はヒートテック2枚重ねに中綿パンツ、その上に防寒作業パンツ
- 靴は長靴(中に靴用カイロ)
- 手袋(軍手でも大丈夫)
- サングラス(使いませんでしたが夏は必須)
釣り装備編
- 竿とリール(レンタルがあるところもあり)
- 基本の釣り道具(ハサミとかペンチとか糸とか)
- ライフジャケット(レンタルあり)
- 船長さんの指定する仕掛け
- タオル数枚(濡らしたものも準備するとお手ふきになります)
- 飲み物、食べ物(私は今回7時から3時ということでお昼タイムがあると思ってお弁当を持ってきたんですがお昼タイム無かったです。おなか減った)
- ビニール袋大小数枚(ダイソーで厚手の70リットルを2枚持って行ったのが魚を持ち帰るのに役に立ちました)
- 天候によってはレインウェア
- クーラーボックス(高いので発泡スチロール箱で代用しましたが、ヒラメ入らず出番なし)
- 氷(船長さん側で準備してくれるところもあります)
- 船の乗船代
- 酔い止め(不安な人は前夜と乗船前、2回飲むと良いようです)
乗船料は大概のところは1万円ですが、今回利用させてもらった船は女性は5000円という破格の良心価格でした
といっても無職には贅沢な遊び
また来年に楽しもうと思います
40歳になって全てに飽きてきた
もう十分人生をやった気がする
楽しかった
苦しかったことは年のせいで忘れてきた
楽しそうな若い人たちを見るといいねって思う
これからももっと楽しいことがあるよ。
でも私はもう終わった
今は楽しくも苦しくもない
心の表面は楽しくてもコアは真っ黒に固まってる、そんな感じ
若い時、うつで苦しみながらもエネルギーがあって、夢があった。
それは、あるやや特殊な分野で働くことで、それは叶ったり失敗してリストラされたりしながら私の人生に撚りこまれてきた。
一年前、その分野ではおそらく日本で一番の企業で働くことになった。うれしかったが若い時のような大きなときめきではなかった。
そして数か月前、働くくらいなら死にたい、死のう。と自殺の具体的な方法を考え始めた時、一瞬正気がよぎり、死にたいくらいなら辞めようと思った。そしてひと月前、辞めた。
日本一の企業で働けていたのに。
夢の熱意もほとんど醒めた
別に悲しくは無い。そういうものなんだなと思っただけ。
ちなみにうつ病の人が急にハイテンションで元気になった時、それは自殺の実行を決意したときの場合がありますので注意。
そうなると、もうだれにも死にたいとか言わなくなります。
私より年上で、一生懸命働いている人たちを見ると、守るものがあるのかなくらいには思う。たとえば子供。
もし自分に子供がいたら、それが生きる原動力というか平たく言って働くことに耐える理由になったのかな。
しかしわたしは自分のDNAを残す気には到底なれなかった。
13歳くらいから、生きるのは苦しいことだったから、そんなつらい世界にもう一人人間を産み落とすなんて残酷なことはする気がなかった。
しかも自分のDNAが入ってたら人生楽しくないタイプの人ができる可能性が高い。
まあたぶん老後のために働く。
これ。
もう40が寿命でいいじゃん
仕事を辞めたら隠居したいと思っていた
故・杉浦日向子さんが、40歳になったら隠居すると宣言されて実行されてた。
実際は持病を抱えての仕事が厳しくなって、ユーモアを交えておっしゃったのだろうが、当時30そこそこの私には
「隠居」という言葉がスコーンときた。
しかも40歳という若さで。
昔なら寿命60歳くらいで40代で隠居するのは珍しいことじゃなかったと思うが。
そしてせこせこと働いていたある日、phaさんを知った。
京大卒というステータスを持ちながら、シェアハウスを立ち上げニート生活をしている「日本一有名なニート」だ。
著書をいろいろ拝読したが、ゆるーく生活している反面、ニートもちょっと大変なところもあるんだなって感想。
でもphaさんにとって、会社勤めするより一万倍楽しい生活なんだと感じた。
ニートの歩き方 ――お金がなくても楽しく暮らすためのインターネット活用法
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次に大原扁理さんを知った。
東京にアパート借り、月に7~8万円の収入で一人暮らしをされている方。
週2で介護の仕事をし、残りの5日は工夫して清貧というには割と豊かな生活を楽しんでらっしゃる方、というイメージ。
隠居というイメージはこの方が近いかなと感じた。
目指すは隠居だ。
隠居と無職の違いはよくわからないけれど
貯金7桁の42歳独身女がもう働かず生きていくことにした
ある日働くことが死ぬほど嫌になった。
比喩ではなく、こんなつらいことをあと20年続けていくのかと思うと、絶望した。
もう嫌だ。死のう。何日も迷った。
そして思いついた。
有り金使い切ってから野垂れ死にでもなんでもすればいいじゃないか。
20年色々な仕事(非正規が多かったが)をして、幸いにも実家暮らしがほとんどだった為、つましいながらわずかな貯金ができていた。
同居する母に告げ、実際に会社を辞めてくると、何日か悲しい顔をしていた。少し心が痛んだ。
しかし、だが私は開放感で澄みわたっていた。
これからは自由だ。
これは破滅の道に続く選択かもしれないが、私は今幸せだ。
死にたい気持ちは霧散していた。
幸い私には釣り、手芸、茶道の趣味がある。
それに、一日中寝ていても平気だ。一緒に寝てくれる猫もいる。
愛犬もいる。
なんでも1人で行動するのが好きだ。
旅行も、飲みにいくのも。
でも一緒にわいわいと飲んでくれる仲間もいる。
これ以上望むことがあるだろうか。