一年三ヶ月後の私
私がこの記事を書いて、一年三ヶ月が経ちました
ちょっと変わりました
ちょっと元気になりました
それが一時的なものなのか、またこんな気持ちがやってくるのかは知りませんが
(たぶん定期的にド鬱はやってきて、そのたびに死にたくなるんだろうけど、土俵際の粘り強さが備わった気がする)
この時は自分は8割自殺で死ぬと思っていた
今はえーーーと、調子悪い時なら5割、普段は2割くらいかな
変わってねーじゃん!死にたいんじゃん!と言われるかもしれませんが、苦しさ度が違います
前はこんな。
「出会いと別れを 繰り返す日々の中で 一体全体何を信じればいい?」
「こんなもののために生まれたんじゃない」
こんな閉塞感から
こんな感じに。
「叱られてばかりだったから 俯いたままで固まった」
過去は忘れられない
けど、
「とても素晴らしい日になるよ」
そんな風に思える時を持てるようになった
”働くくらいなら死ぬ”
本気で思っていました
でも、また、パートだけど就職してしまった
でも、良かったと思えてる
外の世界は面白い そんな風に思える余裕を感じる時もあります
人との関わりは疲れるだけのものだったけど、自分一人の人生では味気ないと分かってきました
それもこれも十分休んで、このブログを含みいろんな人と関わりを持てたからだと思う
もし私が80まで生きるのなら、今が折り返し
前半は鬱に支配された人生だった
後半はどうなるのかな
若い時に歪みきってしまったから、もう将来は絶望しかないと思っていた
自分の人生に後半はない、あるとすれば鬱を引きずって、だんだん暗く、狭くなっていく細い道をとぼとぼと歩いて行くだけだと信じていた
長生きするだけ苦痛は大きくなるだけど思っていたけど、人生は苦しみとお釈迦さまも言ってるけど、早くお迎えが来たらラッキーとかすみっこで思ってるけど、急いで死のうとするほどじゃない、いいこともわりとある(セブンイレブンでたまごサンドやっと買えたり)って思ったりする
そんなこと言って明日自殺したくなってしまうかもしれないけど、そんな時は3日待つんだ自分
死んだ魚の目で3日生きるんだ
そしたら回復するから
って対処できるようになった
何が言いたいかっていうと いますごく苦しい人、休め、すぐ休め、ってこと
世界はちょっとしたきっかけで、私みたいに一年ちょい休んだことで、見え方がかわることもある
生きろとは言わない
だって私だって本音は生きたくない
でも死なないで
私もできるだけ努力して死なないようにするから
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みなさん猫ちゃん好きね~
頑張って書いて良かった